天照御祖神社例大祭

 ここ最近はとても涼しくすっかり秋めいてきましたが、今日は夏の終わりに行われた吉里吉里のお祭りを紹介します。
 先日行われた御霊祭りは、震災後に鎮魂の想いも込めて行われたものですが、今回のお祭りは古くから吉里吉里で行われている夏の祭りです。
 
 

鹿子踊

 吉里吉里鹿子踊は元禄年間(1688-1703年)に房州の船乗り達が伝えた踊りがあったが、天明年間(1781-1785年)に茨城の鹿島神社を訪れた町民が「扇州踊り」に出会い、その技術を取得して故郷に伝えた事により完成したと言われています。

 

 また鹿子踊りには霊呼(れいご)と呼ばれる儀式があり、宵宮祭が始まる前にお寺に踊りを奉納したり、その年に初盆を迎えた家々を回って庭先で踊るという事も伝統的に行われているそうです。

 

 

 

太神楽

 吉里吉里太神楽は、屋号「鍛冶屋」に伝わる話では嘉永3年(1850年)生まれの三浦駒吉が、保存していた獅子頭を地元に寄贈し普及に努めたと言われているそうです。

 

 

 

虎舞

 吉里吉里虎舞は江戸時代中期(1715年頃)、三陸の紀伊国屋文左衛門と囃された豪商、吉里吉里善兵衛こと三代目前川善兵衛が持つ数艘の大型廻船の船方達が、江戸にて見物した当時江戸で大流行していた近松門左衛門の浄瑠璃「国姓爺合戦」の劇中の一場面「千里ヶ竹」の和籐内虎退治の場面を舞踊化して伝えられたと言われています。


 当時は虎頭を赤土で作らせて踊ったそうで、平成11年には町の無形文化財に指定されています。

 

 

 

神輿

 昨年は震災の影響で神輿は中止されましたが、今年は今までとは違う道順で、津波で大きく被害を受けた地区を巡行するというかたちで、二年振りに神輿が吉里吉里地区を練り歩きました。

 

 震災前は吉里吉里海岸にて舟に神輿を乗せ、その年の豊漁を祈っていたそうですが、今年は震災で犠牲になられた方々の慰霊と鎮魂の為、海に向かって大祓い・清め祓いが行われました。

 

 
 
 素晴らしい祭りでした。
観光用ではなく、古くから地元に根付く地元の人達の為の祭りだという印象を強く受けました。
 
 一生懸命に踊る無垢な子供達の姿は、瓦礫の中に咲く向日葵のようであり、その様子を見守るお年寄りの表情は何とも言えない温かさに満ち、燦燦と輝く太陽の光のようでした。
 
 しかし何もかもが流され、以前とはすっかり変わり果てた裸の大地を、子供達が踊り威勢良く神輿が練り歩く姿は、ある意味尋常ではない光景であり、今尚続くこの現実をより多くの方々に知らせ、新たに多くの人々が手を差し伸べるよう発信し続けなければならないとの思いを強くしました。
Minmi